便利さの先に、何を残すのか
最近、アパレルショップなどで見かけることが増えた「二部式浴衣」。
キャミソール型のワンピースに着物風の羽織ものを重ね、作り帯(しかも兵児帯の作り帯まで。。)を締めれば浴衣姿が完成する。着付けの知識がなくても簡単に着られることを売りにした商品だ。
確かに、浴衣を着てみたいけれど難しそう、着付けができない、時間をかけたくないという人にとっては、気軽な選択肢のひとつなのだろう。
しかし、こうした商品を見るたびに考えてしまう。
果たして、これは浴衣なのだろうか。
浴衣や着物の美しさは、単に見た目の形にあるわけではない。
衿をどのくらい抜くのか。
衿元をどう合わせるのか。
帯をどの位置で締めるのか。
そうした細かな調整によって、その人らしい装いが生まれる。
直線裁ちのものを曲線の身体に纏う、整える。
着物とは本来、そうした行為そのものを含めた文化ではないだろうか。
浴衣だけでなく二部式といわれる着物は、その工程を省略することで「簡単に着られる」ことを実現している。
もちろん、それ自体を否定したいわけではない。
入口としての役割はあるだろうし、浴衣に興味を持つきっかけになることもあるはずだ。
ただ、便利さを追求した結果、着物文化の本質的な部分まで切り落としてしまってはいないだろうか、という懸念は残る。
近年はタイパやコスパが重視される時代だ。
短時間で、手軽に、効率よく。
それ自体は決して悪いことではない。
しかし、すべてをその価値観で測るようになると、人が本来持っていた感性や美意識まで失われていくような気がしてならない。
着物は効率を求めるための衣服ではない。
季節を感じ、素材を感じ、自分の身体と向き合いながら装うものだ。
そのひと手間の中に、日本人の美意識が宿っている、と私は感じている。
だからこそ、着物には着る人の個性が表れ、同じ一枚でも違う表情を見せる。
便利なものが増えることを否定するつもりはない。
だが、その便利さの先に何を残したいのか。
着物を通して受け継がれてきた感覚や美意識まで手放してしまってよいのか。
そんなことを、二部式浴衣を目にするたびに考えるのである。
忙しないこの時代だからこそ、着物に触れることでスローライフを。
着るための準備に時間をかけ、身にまとうことに時間をかける。
所作までを整えながら、一つひとつの仕草を味わう。
手間を惜しまない時間の中にこそ、日本人が大切にしてきた美意識と、心の豊かさが宿るのではないでしょうか。


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