私のキモノ遍歴

写真は、2歳頃の私。

母の縫った浴衣を着ている。手に持っているのは、タイガース(?)のジャケットだろうか(笑)

時代を感じる、、昭和のあるある写真(爆)

 

初めて着物を着たのは、いつなんだろう?

母は、和裁も洋裁も編み物も仕事にしてきた人。

節目の行事には、いつも着物を着ていたのを覚えている。

七五三に着せてもらった晴れ着も母が縫ったもので、8つ上の姉のおさがり。

 

小学校3年生で、母が運動がてら習っていた日本舞踊の発表会を観て「私もやりたい!」と主張し習い始めた。

お稽古着は、昔、母が着ていたウールの着物をこどもサイズに仕立て直してくれたもの。

今のように習い事に親が付いてくるようなことはなく、お稽古へ行ったら自分で着物を着るため、着方を母に習った。

おかげで、ゆかた程度のものは自分で着られる子だった。

日本舞踊は中学生までしか続かなかったが、この時期にやったことは身体にしみついている。

 

振袖は、姉が誂えてもらったものがあった。

当時、家に呉服商が着て選んでいたのが印象的だった。

姉が二十歳の時、私は中学生。

その振袖の金額が耳に入ってきたときは、驚愕(゚д゚)!

もちろん!母は私にもそれを着せるつもりであったはずだが、、、

 

私が高校三年生で、姉が結婚。

結婚式に、妹の私は振袖を着る。

だが、私は姉の振袖が好きではなかったので、わがままを主張。

何かに使おうと買い求めてあった白生地を、染め屋さんへ行き、私が柄を選んで染めてもらった。

「私の振袖」を新調してもらった。とても気に入っていて、今見ても惚れ惚れするのだけれど

私が着たのは、たった一度。姉の結婚式だけとなった。

 

のちに、私自身が結婚した時に、1枚着物をと思い、一つ紋の色無地を購入。

娘の行事、友人の結婚式などに数回着用。

自分で買った初めての着物だった。

 

三十を過ぎた頃、ある呉服店の展示会に招かれた。

叔母が、展示会スタッフのアルバイトをしていたので母と連れ立って。

母は私のために”付け下げ”を新調してくれた。

 

そこで、着物のイメージが激変したのです!

 

接客してくれたのは若めな男性スタッフ、中には結構なイケメンもいて(〃´∪`〃)ゞエヘ

コーディネートが斬新で、私が持っていた古い着物のイメージは一新された。

仕立ての話やら全て終えて帰ろうとした時、呼び止められ「着るだけ!これ羽織ってみない?」

見ると、それは山本寛斎デザインのド派手なブルー系の訪問着

かかっているのに目も留まらないくらい、それまでの私の世界には無いもの

「えーーーーーっ!」これを着るの??? と思ったが、まっ、着るだけタダだし~ぃ

と、羽織ってみたのが間違い(?)のはじまり(笑)

なんと!鏡に映った その着姿は 私とは思えないほど

キラキラして美しかったのです(・o・)

 

そこから、夢に出てくるほど

その着物、いや、その着姿が忘れられず

自分に似合う着物を買いあさっていく’章’に入るのでした。コワッ

 

ということで、次回へつづく。。。